京都国宝 醍醐寺
醍醐寺は、弘法大師空海の孫弟子の理源大師・聖宝(りげんだいし・しょうほう)が、874年に創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山を醍醐山と名付け、准胝観音、如意輪観音を山上に祀ったのが醍醐寺の始まりである。その後醍醐天皇-朱雀天皇-村上天皇の庇護(ひご)の元発展していった。
その後、応仁の乱では、五重塔を残して伽藍が焼失し衰退したが、豊臣秀吉の醍醐の花見をきっかけに復興し現在に至る姿になっている。
醍醐寺の境内案内図
醍醐寺の境内は、200万坪以上の広さがあり、上醍醐、下醍醐、三宝院に分けることができる。
総門を入って、国宝唐門が左にある。唐門の手前の門をくぐると表書院、庭園へと続くところが三宝院。
三宝院には、国宝に指定されている唐門、表書院があり、他大半の建造物が重要文化財に指定されている。国宝の表書院からの三宝院庭園は、国の史跡、名勝に指定されている。この庭園は秀吉の「醍醐の花見」の際に自ら設計した庭で桃山時代の華やかな雰囲気が伝わる。
残念ながら、表書院・庭園とも撮影禁止である。
三宝院をでて、その先の仁王門を入ると下醍醐の伽藍がある。
下伽藍には、国宝の金堂、国宝の五重塔、その他清龍宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、大講堂、女人堂、弁天堂など多くの堂宇が点在している。 下醍醐の中心である金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって、紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもので、主要部は平安末期の様式を完全に残している。
国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の951年に完成した。 京都府下最古の建造物で、内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれている。
上醍醐は、下醍醐から約1時間程、山道を登る。
上醍醐には、五大堂(不動堂)、薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)、清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)など、国宝、重要文化財に指定されている。
醍醐寺の上醍醐、下醍醐、三宝院の伽藍には、6棟の国宝、10棟の重要文化財がある。
三宝院、下醍醐、上醍醐といっしょにじっくりと訪れたい。
醍醐の花見
慶長3年3月15日(1598年)に豊臣秀吉が京都の醍醐寺において、近親の者を初めとして、諸大名からその配下の者など約1300名を従えて盛大に催した花見の宴である。秀吉はこの約半年後に没する。
花見で詠まれた和歌の短冊は今も三宝院に保管されている。
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醍醐寺をたずねて(探訪記)
国宝<建造物>
1.五重塔
2.金堂
3.薬師堂(上醍醐)
4.清滝宮拝殿(上醍醐)
5.唐門(三宝院)
6.表書院(三宝院)
<絵画 >
・絹本著色五大尊像
・絹本著色文殊渡海図
・絹本著色訶梨帝母像
・絹本著色閻魔天像
・五重塔初重壁画(板絵著色)18面
・紙本著色絵因果経
<彫刻>
木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
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そうだ京都行こう 1995年 2009年
国宝 醍醐寺アクセス
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 075-571-0022
★京都駅からJR東海道線または琵琶湖線で山科駅、地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」で下車、2番出口より東に徒歩10分。
★京都駅からJR奈良線・六地蔵駅、地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」で下車。2番出口より東に徒歩10分。
☆100台収容の駐車場 5時間まで700円
醍醐寺の地図
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新版 古寺巡礼京都〈6〉醍醐寺
麻生 文雄 永井 路子
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