和歌山県国宝 根来寺 大塔(多宝塔)(ねごろじ だいとう)

新義真言宗総本山

根来寺は幾多の大きな難に遭遇し今があります。

新義真言宗の根本道場として全盛期には、堂塔700、寺領72万石まで栄えたと言われています。

そのため、僧兵の勢力も強大となり、「根来衆」と呼ばれた僧兵は、豊臣秀吉をまで恐れさせ、1585年根来攻め、紀州征伐で、根来寺は全山ほぼ壊滅となりました。

境内36万坪、葛城連峰に囲まれた自然は独特の雰囲気を醸し出しています。それに加え、境内にある庭園が、名勝・史跡として国に指定されました。

 

国宝の根来寺大塔(ねごろじだいとう)は、木造本瓦葺で、高さ40メートル、幅15メートルの日本最大木造多宝塔です。

室町時代1480年に資材の収集が開始され、完成まで67年かかり建立されました。


根来寺をたずねて(探訪記)
根来寺の地図

 

 

根来寺 大塔(最古の木造多宝塔)

 
根来寺大師堂(ねごろじだいしどう)
木造本瓦 1391年根来寺最古の建造物
本尊として弘法大師を祀る仏堂、木造弘法大師坐像は1391年のもの(和歌山指定文化財)
 

名勝 根来寺庭園
江戸時代後期の書院庭園と聖天池からなる庭園
 

重要文化財
・大日如来・金剛薩唾(こんごうさった)・尊勝仏頂坐像(そんしょうぶっちょうざぞう)
木造 室町前期
・弘法大師坐像 木造 鎌倉時代
・金銅鳥頸太刀(こんどうとりくびたち) 紀ノ川市丹生神社 鎌倉時代 鉄製鍛造

和歌山県指定文化財
・根来寺不動堂 江戸中期 木造本瓦葺
・常光明真言殿 江戸後期 木造本瓦葺
・根来寺大伝法堂 江戸後期 木造本瓦葺
・大門 江戸後期 木造本瓦葺
・弘法大師坐像(根来寺大師堂本尊) 寄木造り
・根来寺伽藍古絵図(ねごろじがらんこえず)
 

 

国宝 根来寺リンク


根来寺公式サイト 


国宝 根来寺アクセス

 


和歌山県岩出市根来2286 0736-62-1144
JR大阪駅・和歌山駅から、JR阪和線(紀州路快速)和泉砂川駅
JR和泉砂川駅から
「岩出駅前ゆき」「根来寺」下車 もしくは「岩出図書館」下車 徒歩10分


国宝 根来寺の地図

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もっと詳しく・・

根来寺は、興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)上人により開山されました。
覚鑁(かくばん)上人は、空海以来の才と称され若くして登用されるほどでした。

覚鑁(かくばん)上人は、真言宗総本山の高野山が、下僧は食べるためと割り切って信心が薄く、上僧は、権力に目がくらみ、のさばってる、高野山の現状の腐敗衰退を嘆き、立て直しを図ります。
まず、高野山金剛峯寺の大伝法院を建立し座主となり、その後、金剛峯寺の座主に就任して、高野山の主導権をもち、改革をはかっりましたが、上下僧からの騒動をはじめ、激しく対立することになり、覚鑁(かくばん)上人の金剛峯寺追放となってしまいました。

覚鑁(かくばん)上人は、弟子一派と共に根来山に根来寺を開山し、真言宗の正しい有り方を説き、独自の教義を展開した。その後弟子たちにより、覚鑁(かくばん)上人の教義、教えをもとに「新義真言宗}が発展されていきました。

根来寺は、強力な力を持つことになり、根来衆とも言われた僧兵に豊臣秀吉も恐れをなし、紀州征伐で根来寺は壊滅状態になってしまいますが、江戸時代になって、紀州徳川家により、復興の許しがでて、根来寺も復興されことになりました。
これら幾多の背景のもとにこの根来寺が自然の中に溶け込んで、単なる寺としてでなく、名勝史跡としての根来寺と形を変え、今に至っています。